コロナ後遺症と迷走神経機能不全
ー上咽頭擦過療法の可能性ー
松田 豊 NPO恒志会理事
今年、新型コロナウイルス感染症が2類から5類に変更されてからは、5類の基準に従って総数把握ではなく、定点把握に変わり、発表も1週間遅れである。今また第9波に達しているのかその傾向にあるのかもさっぱり分からない。
第8波までの間に感染した(文献1より)友人、知人の情報が遅まきながら知らされてきているが、世間では意外とその後遺症にはあまり触れられていない。以前のように報道もないためか、不思議とコロナに関しては台風一過のようなニュアンスでさえある。
しかしながら、海外では一段落した段階で、残っている課題「後遺症」に関しての論文が散見される。
新型コロナウイルスに感染した後、後遺症に悩む人は、世界的に2022年の段階で6500万人を超えていると言われている。後遺症の特定や診断は難しく、感染後にそれらの症状が現れる確率は、実際にははるかに高い可能性があるとも言われている。
後遺症の症状には、倦怠感、呼吸困難、頭痛、ブレインフォグ(思考力・集中力の低下や記憶障害など)味覚・嗅覚障害、食欲不振、めまい、抜け毛といったものがある。生活の質を著しく損なうことにつながるこれらの症状の多くについて、新たな研究結果で指摘されているのは「迷走神経の損傷」に関連性があるというものだ。
迷走神経は、12対ある脳神経の一つで、第Ⅹ脳神経とも呼ばれ、脳神経中最大の分布領域を持っている。首から腹部におけるほとんど全ての内臓の運動神経と副交感性の知覚神経が迷走神経の支配である。機能的には心拍数の調整、胃腸の蠕動運動、発汗や発話、血中ガス分圧の感知、外耳道の体性感覚、食道・気管・気管支・咽頭からの表在知覚、また胸部・腹部からの内臓知覚、軟口蓋・咽頭のほとんどを支配している。
この迷走神経は、迷走神経反射と呼ばれる生命維持のために各臓器や効果器に防衛反応を形成する重要なものである。
これらの人体生命維持に欠くことのできない迷走神経に損傷が起これば、呼吸や消化、さらに体がさまざまな機能を実施するということにも不具合が生じることになる。
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「新型コロナウイルス感染症後の迷走神経機能不全」2) 2023.6.19 SSRN (Social Science Research Network)
この論文によれば、感染時の症状が軽度から中程度だった人のうち、迷走神経の損傷に関連のある1つ以上の症状を訴える人は、3分の2以上に上っていた。
感染していない人、感染症から完全に回復した人に比べ、後遺症がある人より多く見られたのは、「長引く咳、話し方の変化(発声の障害)、嚥下障害、心拍数の増加や心拍数の変動幅の増大、消化管障害、めまい、認知障害」といった症状だ。
研究チームはその他、超音波画像の分析を行い、迷走神経そのものについても調べ、後遺症のある人の20%には、首から胸部に伸びる迷走神経全体に、著しい肥厚が見られたということだ。
神経の肥厚は多くの場合、炎症に起因するもので、研究者らは、迷走神経のこうした構造的な変化の要因には、ウィルス感染そのものと、免疫の活性化という間接的なものがあると推測している。
また、未感染の人、感染症から完全に回復した人に比べると、後遺症のある人は、より多く(47%)に、横隔膜の平坦化が見られた。
肺の下部にあり、収縮により呼吸をコントロールするこの筋肉の平坦化は、胸腔内の大幅な圧力低下と関連していることが多く、息切れや眩暈などの症状の原因になっていると考えられる。
一方、意外なことに、超音波画像から見る限り、肺やその他の部分は正常な状態であることがわかった。これは、後遺症としての呼吸器症状は「肺が受けた直接的な損傷によらない」ことを示唆している。つまり、迷走神経が損傷を受けたことによって、横隔膜への信号伝達が阻害され、そのため横隔膜の収縮と拡張が正常でないことを示している。
人の体の多くの臓器は迷走神経に依存しており、それに左右される。そのため迷走神経の損傷は体内臓器のみならずその他の重要なシステムに影響を及ぼすと考えられる。
この研究結果が示唆するのは、後遺症治療においての標的は、迷走神経だということになる。またさらに、迷走神経に刺激を与えることが全身に起きる炎症の抑制につながると見られることは既に以前から報告されている。
新型コロナウイルス感染が迷走神経に与える影響を明らかにすることができれば、後遺症が体に及ぼす影響についての新たな知見が得られるかもしれない。
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以上、大雑把な解釈であるが、恒志会が以前から親交のあった堀田修氏が理事長を務める日本病巣疾患研究会が新型コロナウイルス感染の拡大に際し、「鼻うがい」を提唱しており、また「EAT (上咽頭擦過療法) 」の治療処置がコロナ感染症の症状緩和に有効であることを数多く提示している。
EATとは
EAT(上咽頭擦過療法)の作用機序は以下の3つに大別される。
・第一は塩化亜鉛による収斂作用である。これにより上咽頭の炎症が鎮静化され、炎症が原因の疼痛や放散症状が軽快する。また、リンパ球の活性化を伴う病巣炎症の鎮静化をもたらすため自己免疫機序により生じた二次疾患に好影響を及ぼすことが推察される。
・第二の機序はEATの瀉血作用である。脳の老廃物は脳脊髄液・リンパ路・静脈循環を経て全身循環血中に排泄されるが、慢性上咽頭炎の際に認められる上咽頭の高度なうっ血状態はこの排泄機構の機能不全と関連することが推察される。特に激しい慢性上咽頭炎の際にEATで認められる上咽頭からの著明な出血現象は、それ自体が障害された脳脊髄液・リンパ路・静脈循環の改善に寄与しているのかもしれない。
・第三の機序は迷走神経刺激反射である。上咽頭は迷走神経と舌咽神経の支配を受けているがEATに伴う迷走神経刺激が同治療に伴う様々な症状の改善に密接に関与している可能性がある。
21世紀に入って神経内分泌・自律神経と炎症反応が迷走神経を介して深く連関していることを示唆する興味深い発見が相次いだ。迷走神経が関係する炎症反射はその一つである。
迷走神経は脳幹に端を発し、左右一組の神経線維の束として頸部を下り、胸部を通り抜けて腹部全体に広がる。曲がりくねった経路の途中で、直接、または間接的に体の器官の大部分と接続している。迷走神経刺激により脾臓のTリンパ球が刺激されてアセチルコリンを分泌し、マクロファージにおけるTNF等の炎症分子の産生を抑制し、炎症反応が抑制される。こうした発見をもとに、人為的に迷走神経を刺激して自律神経障害や炎症疾患を治療しようという発想が生まれ、電気刺激技術を利用して迷走神経を刺激することにより様々な病気を治療する、バイオエレクトリック医療が実臨床に試みられ、その成果が近年注目されている。
頸部の迷走神経を露出し、神経に電極を巻付け、リード線を皮下に通して胸部に植え込んだ電気刺激発生装置に接続する迷走神経刺激治療(vagus nerve stimulation, VNS)はすでに関節リウマチ、炎症性腸疾患などの炎症性疾患や自律神経系疾患の一つである線維筋痛症に有効である可能性が示唆されている。さらに、アルツハイマー病、パーキンソン病、糖尿病、高血圧、肥満、癌、喘息、肝炎、炎症性腸疾患、過敏性腸炎、過敏性膀胱、関節リウマチ、SLEなど極めて多岐にわたる疾患でVNSなどの神経刺激療法による効果が期待されている。そして、私たちが注目している点はこれらの候補に挙がっている疾患の多くが、かつて堀口申作氏が「Bスポット(鼻咽腔)療法」が有効とした疾患3)と共通していることである(表)。
表 慢性上咽頭炎が関与しうる疾患と症状1)
上咽頭炎による直接症状(放射痛を含む)
咽頭違和感、後鼻漏、咳喘息、痰、首こり、肩こり、頭痛、耳鳴り、舌痛、歯の知覚過敏、多歯痛、顎関節痛など
自律神経系の乱れを介した症状
全身倦怠感、めまい、睡眠障害(不眠・過眠)、起立性調節障害、記憶力・集中力の低下、過敏性腸症候群(下痢・腹痛など)、機能性胃腸症(胃もたれ、胃痛など)、むずむず脚症候群、慢性疲労症候群、線維筋痛症など
病巣炎症として免疫を介した二次疾患
IgA腎症、ネフローゼ症候群、関節炎、胸肋鎖骨過形成症、掌蹠嚢疱症、乾癬、慢性湿疹、アトピー性皮膚炎など
上述の二つの資料より、新型コロナ感染症の後遺症の多くの症状が迷走神経での不調和によるものであれば、「鼻うがい」及び「EAT」は極めて有効な予防法であると同時に後遺症の緩和に対しても、今行われているであろう対症療法より希望が持てるものではないだろうか。
参考文献
1)堀田修. 道なき道の先を診る. 東京:医薬経済社, 2015.
2)Lladós G et al. Vagus Nerve Dysfunction in the Post-COVID-19 Condition.[not peer reviewed(査読を受けていない論文)] SSRN(Social Science Research Network) https://papers.ssrn.com/sol3/papers.cfm?abstract_id=4479598
3)堀口申作. 堀口申作のBスポット療法. 東京:新潮社, 2018.
4)認定NPO法人 日本病巣疾患研究会. https://jfir.jp